2025年7月20日日曜日

夢で遭遇いましょう    師匠と弟子

 

師匠と弟子


 


 

 

  

 

教室は熱気に満ちていた。いや、熱気というよりは、淀んだ空気が充満していたと言った方が正確だったかも知れない。休日出勤にもかかわらず、20人もいただろうか。集められた塾の講師たちは、ホワイトボードに映し出された「新規事業企画会議」の文字を前に、ぼんやりと座っていた。

「で、この『宇宙を股にかけるスーパー講師集団』っていうのは、具体的にどういう層にアプローチするんですかね?」

新卒で入って来たY**が恐る恐る尋ねる。しかし、返ってきたのは、映画プロデューサー気取りの本部長の熱弁だった。

「いやだからさ、これはもうコンセプトが命なんだよ。ターゲットとか、そういうミクロな話じゃない。壮大なビジョン、つまりは宇宙、宇宙! 全人類が我々の授業を受ける、と。そういう気概がなきゃ、この企画は成功しないんだ!」

全く、何を言っているのか分からない。Y**が呆れ顔で俺の顔を見る。しかし、俺には答えようがない。まるでハリウッド映画の打ち合わせでもしているかのようだ。

その間も、職員室は会議に参加していな職員たちでざわついていた。労働組合の監査が入るらしい。いや、監査というよりは、単に書記が抜き打ちでやってくる、という噂だ。「抜き打ち」のはずが、どうして皆知っているんだろうか? 

――何を今さら。隠しようもないほど、一部上場と言いながら、この塾の労働環境は「ブラック」とでも言うべきものだったのに。

話が煮詰まったのか、突如休憩になった。その場にいるのが耐えきれなくなり、俺は教室を出た。廊下に出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でる。妻のA**がいた。何故、こんな場所に、と一瞬思ったが、出発するときの、いつもと同じ行動のつもりでキスをしようと思った。唇を近づけると、妻は露骨に顔をしかめた。

「やめてよ、口が臭いのよ、何度言ったら分かるの?」

冷たく吐き捨てられた言葉に、俺は傷ついた。そんなに臭いのか。ま、臭いんだろうな。仕方がない。しかし、この女は、俺のすることなすこと全てが気に入らないのだ。それは、俺の精神も肉体も、根本的に嫌悪している、ということなのだ。

もうずいぶん長いこと、性関係がない。最後に肌を合わせたのはいつだったか。忘れてしまうほど昔のことだ。或る時、彼女は俺のペニスを「汚い、気持ち悪い」と、吐き捨てるように言った。確かにそうだろう。見知らぬおっさんがいきなり股間を晒せば、それは誰だって気持ち悪がるだろう。彼女にとって、俺のそれは、そのレベルなのだ。

もうどうでもいい。ならば離婚すればいい。何度そう思ったことか。それなのに、俺(たち)は惰性でこの関係を続けている。

会社に行かねば、と急いで家を出る。家から歩き出したのはいいが、肝心の自転車を京王八王子駅の裏に止めてきたことを思い出した。そういえば、俺はハイデッガーを捜していたのだ。どこかの本屋か古本屋に行かねばならない。自転車を拾ってからにしよう。

自転車のサドルに跨がり、ペダルを漕ぎ出す。風を切るたびに、頭の中では様々な思考が去来した。

日本の文芸批評の創始者とも言える、大林佳夫がトルストイの件で批判された話。鷗外を書かなかった理由もそこにあると俺は思う。偉大な批評家でさえ、時に道を踏み外すこともあるのだ。

最近読んだ一冊の本を思い出していた。『(あけ)に潜むもの』、という、ありがちな書題ではあったが、俺には面白かった。――或る女性俳人(今では知るものもほとんどいないだろうが、山鹿波奈子(やましかはなこ)という名前だったが、無論配俳号なのであろう)が書いたその本には、大林佳夫の知られざる一面が記されていた。口絵に配された、20代後半であろう波奈子の写真は、和服姿の清楚な美人だった。








当時すでに高名な実業家の妻だったはずの彼女が、実は大林の愛人でもあったという衝撃的な事実。無論、この書が刊行されたのは、その実業家も大林も鬼籍に入った後のことだ。もう随分なお婆さんであろう。そもそも、自らの著書に、あるいはそのカヴァーや帯に自らの顔写真を載せる人の感覚が俺には理解できない。無論、芸能人は別だ、顔が商売道具であろうから。

それにしても、こんな若い時の写真を載せるなんて、わたしはとても綺麗よとでも言いたいのであろうか、それが文学と何の関係があるのか? と、いささか白けた気持ちを持っていた。

ところが、或る時、その女流俳人も先年他界していて、この著書は近親者による編集の下に死後刊行されたものであることを知って、得心がいった。さもありなん。恐らく、本人は書いたはいいものの、人目に触れるのが憚れることも書かれているが故に、半分以上はお蔵入りのつもりだったのではないか。

鎌倉駅のホームから落ちた大林、晩年では奥伊豆の海水浴場で溺れて死にかけたという逸話の、その本当の理由が、その自伝の中で仄めかされていた。

二人は男女の関係として愛し合っていてもいたのであろうが、文学上の、あるいは芸術上の(山鹿は古美術評論家としてその世界では知られていたそうだ。大林の古美術好きについてはいうまでもない)師匠と弟子、という関係だったのではなかろうか。

その俳人の話が、偶々、ハイデッガーとアーレントの往復書簡集を読んでいたこともあって、なぜか俺にはハイデッガーとハンナ・アーレントの関係と重なって見えたのだ。アーレントはハイデッガーのマールブルク大学時代の教え子でありながら、長く彼の愛人として寵愛を受けた。後に師と敵対することになる二人の関係は、世間には決して明るみに出ることのない、秘密の絆で結ばれていた。二人は一体どんな顔をして密事を交わしていたのであろうか? ま、俺には何の関係もないことだが。




偉大な哲学者も、批評家も、誰も彼もが、表舞台とは異なる裏の顔を持ち、情欲に身を任せていたのだ。岡本太郎の言葉ではないが、「どんなものにも顔がある。グラスの底に顔があってもいいじゃないか」と、すれば、どんな人も心の底に、別の顔を持っているのだ。要するにやるべきことはちゃんとやっていたのだ。そう思うと、俺は言いようのない暗澹たる気持ちになった。誰も彼もが、俺とは違う。俺は何一つ、まともに「やって」いないのではないか。会社での無意味な会議(そう言えば、あの会議は一体どうなったのだ?)、妻との冷え切った関係、そして、手に入れることさえ叶わない文学的、あるいは思想的達成。すべてが中途半端で、宙ぶらりんだった。

八王子の街を自転車で走りながら、俺は自問自答を繰り返す。空は高く、雲一つない。俺の心だけが、重く淀んでいた。

 

師匠と弟子

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①2683字(400字詰め原稿用紙換算7枚) 

20250720 2028




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